正しく生きるための実践マニュアル

「自分を生きていない」と気付いた人の為の道標が、今ここにある。

本当は知っている

以前、精神世界系やヒーリング系の

セミナーのようなものに、

いくつか参加したことが

ありまして~

 

知識を得るのは、あるいみ

楽しくもありました。

 

へー、こんなコトがあるのか、と

目からウロコが、ポロポロ~と。

 

ということも、面白かった。

 

やがてバラバラに仕込んだ知識は

どこかで結びついて体系がある

ことに、気づいた。

 

様々なスタイルをとりながら

みな同じトコロから、出ているのね。

 

それが、分かったときから

もう知識は、いらない。

と思うようになった。

 

つまりは、渡り歩く必要がない。

という感じでしょうか。

 

知識を得ようとすればするほど

本当のモノから遠ざかる。

 

「私は、何も知らない」

というトコロから、一歩も動けない。

 

知らないから、得ようとするのだよね。

 

では「もう、知っている」となったら・・・。

ただ、それを信じればいいだけ

じゃないかな~と思った。

 

なんの確信もない。

なんの支えもない。

 

でも、信じた瞬間に、分かる。

自分はもう、すでに知っている。

自分は、もう探そうとしなくていい。

 

ここから、すべてが始まるんだ。

ということが。

すべての中に仏あり

音もなく臭(か)もなく
常に天地(あめつち)は
書かざる経(きょう)を
くりかえしつつ

(「二宮翁夜話」より)


人を対象にしていたら
それに合わせることになる。

人の価値観・常識・こだわりを
相手にしたら、今日はこうして
明日はああして。
と、本道から逸れてしまう。

そして、いったい自分は
何者か? と迷います。

 

この天地にあるものは、すべて
万物を育てる天の意志に従って
それで、なにごともなし。

{音もなく臭(か)もなく}
自分を誇示するでもなく
あるように、あるままにある。

そのように。
私たちも、生きていけばよい。

自業自得。とは

99%ではなく、「100%自分の問題」ということは、

同僚がミスをして一緒に叱られても、

見ず知らずの人に突然言いがかりを付けられても、

地球の裏側で何かの悲惨な事件が起きても、

0.1%も例外なく、それは誰かのせいではなく

「自分」の問題ということになる。


自分が見たり聞いたり、目の前で起こった

あらゆる問題は、全て自分自身の問題であって、

例外はないということなのだ。


確かに、故意であれ過失であれ自分がやった事に

対しては、「自分の問題」と簡単に受け止められるが、

自分以外の人がやった事に対しても

「あなたの問題です」と言われれば、

普通の人は納得が出来ないだろう。

自業自得。とは
「何があっても自分が悪い」と受け止める

ということではない。

それではむしろ自分を責めることで、

新たな業を生んでしまう。


そうではなくて、「そのように思ってしまう

ことにこそ、そこに自分の問題が示されている」

ということを言いたいのだ。


ものの見方や捉え方は100%、
それを受ける側の主観でしかないのです。
自分の目の前に現れた事象は、その事象そのものだけでは
意味を持たず、それを見て受け止めている本人の心が
反応しているに過ぎない、ということなのだ。

 

そしてその反応は、本人の過去の記憶、業・カルマが
影響を与え、感情を引き出している。
あなたの目や耳などの五官を通して

何かの出来事を認識した時、

あなたの心の中でどのような反応をしたのか、
というところに「自分の問題」が示されている。


「問題」とはつまり、自分の課題であったり、

自分の役割の方向性を指し示すものであったり、

今の自分にとって
必要な“何か”を自分に教えてくれる、

「本当の自分」からの「メッセージ」ということなのだ。

魂が自分の進化のために設定した課題を学ぶために、

最も相応しい環境を現象化しているのだと。
どんな事があっても何もかも自分が責任を背負い、

「自分がやればいい」と思うことだけが答えではない。

時間は「いま」作られる

過去に「こういうこと」があったから、

いま「こうなんです」という
のが~普通の考えのようで。


いま「こうだから」過去に「こういうこと」があった。
というものを作る。というように
じっさいは、時間とは逆に私的なモノガタリを

「いま」作っている。のです。

 

たとえば、

勉強しなかったから、進学できなかった。

進学できなかったから、希望の職につけない。

 

こんなふうに、ストーリーを作る。

しかし・・・そうでしょうか?

 

希望の職に就けない原因を探して

「これがそうじゃないか」と想像したのです。

事実は、どうなんですか?

本当にそれが原因ですか?

 

原因と思われるものは、沢山あります。

そのうちの、理由になりそうなものを

ピックアップしてみただけなんですね。


原因も結果も「いま」ある。その
いまが過去をつくり未来を作っている。のであります・・。

のではないかなぁ~と感じていたりします。
それを看破するのが「智慧」のパワーである。

と考えます・・・

信頼する、ということ

信頼
というのは~何かと、考えた。

「こうだから信じられる」というものだと、
「こうでないから信じない」になりますね。

つまり、条件がつく。
それは「信用」ということ。

 

「信頼」しているというときは
相手の言動には必ず善い意図がある
と思って、受け止めること・・・。

 

たとえば、どんなに口汚く罵られても。

それには、きっと、自分にとって善いこと。
だと、受け止める「心の余裕」がある。

そして

相手が、どんなに、自分の協力が
必要に違いないと思うような事態になっても。

 

「相手は、自分で解決する力がある」と
ぢっと。見守ることが出来ること。

純粋さ

仏道をならふといふは
自己をならふなり。

自己をならふといふは
自己をわするるなり。

自己をわするるといふは
万法に証せらるるなり。

万法を証せらるるといふは
自己の身心、および他己の心身をして
脱落せしむなり。


というのが曹洞宗開祖、道元さんの
有名な一節です。

 

ワタクシなど面倒くさいから仏道はイイヤ。
となりそうです。

 

忘れよう、捨てよう。
として、出来ないのが「自己」というもので。

思えば思うほど、ありありと「自己」がいる。
どこを切っても、出てくる、出てくる。

 

これまでに身についた経験や知識、思慮分別
自分のやり方・・・これが自分だ・・・
を、すべて捨て去る。。

って、叶わん。です。

 

人間は、どうやっても、自分が一番かわいい。
なによりも興味の持てる対象です。

 

自分の仕事
自分の家族
自分の上司・同僚
自分の財産
自分の社会
自分の地球
自分の宇宙

どこまで行くのか~♪

 

これを反転させてみる。

 

仕事における自分
家族にとっての自分
上司・同僚にとっての自分
財産からみた自分
社会から見た自分
地球から見た自分
宇宙から見た自分

ふぅん。
なんとなく、求められている使命が・・・
見えてくるような、気がする。

ゼロに戻る

頂上に達したら
新たな頂を目指して
また上り始めればよい

(ハリール・ジブラーン)作家・画家

 

 

学ぶことなど、なにひとつない
「すべてを知った」という境地に
達することなんて、ありえない。

「なにかを知った」と思ったとたんに
そこに変な確信を持つ。

 

すると、それ以外は間違いとなったり
「そうではない」と言う人がいれば
それを排除しようとする。

まぁ、つまりは、傲慢になるんだね。

 

「知らない」という人を
バカにしたり、哀れんだり
「知っている自分」を偉いと思ったり~
そうである自分を守るべきものとする。

 

見えているもの、すべては
その人の影。なのにね。