自作自演を見抜く
推理小説で「主人公が犯人だった!」という手法を使うのは、頻繁にあっては読者を裏切る行為なのであまり使ってはいけないウラワザだと思います。
うまく騙されて「なんだよ。それは禁じ手じゃないか」と納得できないものがあります。
が、ときに逸品があるものです。
「そこまで、やりますか」と感心させられて。
作者が、どうやって人の心理・視点の裏をかいて、騙していくか。
そういう目線で読み直してみると、
ここに騙しがあったのか、とか、いろいろと発見していきます。
ここを、こうだと勘違いさせられていたのか。
なるほど、この伏線があったから・・などなど。
推理小説は、いままで登場しなかった人を
突然に持って来て、犯人にするのは~、
あってはいけない。
犯人と思った人が犯人じゃない。
その裏を、どうやってかいて行くかの面白さがあり~
そんなふうにですね。
自分で自分を上手く騙す。
騙しておきながら、信じさせる。
信じ込んでしまったら、
そこ視点でしか見ない。
それに反するものは、反するのが当然というような
理由づけをして、別の世界に生きる。
そこからは、想像の世界しかなく、
事実は騙した世界が、まるで事実だ
というように使われる。
作者は最後に、この自作自演の種明かしをしてくれるから、
それはそれでスッキリとなる。
あーーっと言う間の、どんでん返しで。。
さて。心の、どんでんがえし。
これが、、、テーマなんですが。
自分がそれまでに取り込んだ「既成のもの」からの自由。
になって、ゼロから始める。
自作自演で苦しむのは終わり。
そして・・自由からは。。
その人を生きる。
それは新しい、創造の世界です。
一寸先に、何が起こるか。
ただワクワクしながら、待ちます。