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正しく生きるための実践マニュアル

「自分を生きていない」と気付いた人の為の道標が、今ここにある。

脱・いい人

有害な人の定義。を考えた。


「偉人は考えを論じ、

凡人は出来事について話し、

つまらない人間は噂話をする」


――エレノア・ルーズベルト

てなことで、
①噂話(人の不幸を喜ぶ)をしたがる。
②自分の感情をコントロールしない。
③犠牲者になることで責任回避をする。
④自己中心。
⑤人をうらやむ。
⑥他人を利用価値で見る。
⑦恐怖や不安感を与える。。

という人を善意の人は、良いように
解釈して付き合おうとします。。

周りの人が「あの人は・・」と言っても
「いやいや、そんなことはない」
と、事情を考慮しようとします。

善意の人は、人を無視できない
性質があるからですが・・・

有害な人も、この世にはいる。

それと気がついたら、それとなく、
フェイドアウトしても、いい。
ので世話をしようなんて~自分を
いい人にしたがるのを止めましょう。

ホントに、ただ利用されて見下されて、
何をしても・・・
ザルで水をすくう~ような~

知性は行為でわかる

「大人・・だなぁ」と思う人がいる。


自分と違う意見を言う人の話を素直に聴きます。
どうしてそうなるのか、丁寧に理解しようとします。
そして、お互いの一致点を見つけます。


話をしていて、こちらが理解できないと、
言葉を変えたり、相手の理解力を判断して
伝え方を変えるための努力します。


自分の知らないことがあると、解ろうとします。
キラキラと、面白そうに楽しそうに。
それが、どんなに役に立たないようなことでも。
こちらのほうが引き込まれてしまいます。


新しいことをはじめるときは、自分のやり方や
価値観にこだわりがありません。
こういう人は、最初はこちらが教えているのに
終わってみたら、こちらが教えられている。
という気にさせられます。

臨機応変は想像力次第

アインシュタインが言ってます。
問題の起きた次元では、問題の解決はできない。みたいなこと。
「これしかない」のなかで、ゴタゴタしても、出口はない。

「この上司が悪い。同僚がバカ。会社は理不尽」
スパッと、辞めたら、もうその答えを求める必要はない~。っと。
・・・

離れてみたら、あんがい恵まれていたと

気づくこともあったりして。


そして~自分に人と関わる能力が欠けていた、

と気づくかも。

古いものが壊されて、新しいものが産まれる。

ということを、頭の中で想像する。
辞めたら分かる。壊したら分かる。
のでは・・・キケンです♪

意識は、逸らされる

自分の中の愚かさ、狡さを毛嫌いし叩きだす。
「これは自分ではない」
「自分はこんなものじゃない」。。
「自分には善をめざす意思がある~」

そして、自分は~まっとうな人間と、倒錯する。
これが脳が行う投影の技術ですね。

そんな人が、真剣に他者と関わるなんて、
できることなのでしょうか?

 

恋愛しても他者の中にある、
自分自身を愛するだけかも。

どーしようもない、愚かで、
自分勝手で、ダメダメ男を
「自分しか助ける者がいない」と、
恋愛し続ける女のようなもの。

ダメだから見下して
「こんなダメ男なら、自分から離れないだろう」。

そんな安心感が、何度でも、
疑似恋愛を繰り返させる。

よそから見たら「なんで、あんな男を?」
と思ったりしますが。
愛するには、愛するの理由がある~


自分がダメだなぁーと思っている場合は。
崇拝する人に、愛されようとする。
そんな人に愛されている自分は・・・偉い。
のでしょう。

でも、そんな人に、本当に愛されるだろうか?
という疑心暗鬼が~あるもんだから。
今度は、相手を落とそうとする。
自分の位置まで・・・そして、
自分より下の位置まで。

ただ恐怖を使って支配する。
人間としての尊厳を汚す。
受けた人は、恥でおおわれ。
DV旦那とか・・
昨今の集団友達殺人も、
同じ構造かもしれません。

相手は恐怖で付き合っているのに、
愛があるからと錯覚する。

落されて喜ぶ人は、いないから。
逃げようとする。
逃げれば「裏切られたー」と激高して・・・。
この後は~血みどろドロドロの~


自分の中の人間性、その光と闇を
あますところなく看破し
受け入れた人は~

人のことなんか、どうでもよくなる。
非難する気も、教育する気も、ない。
それはすべて、自己承認を求める行為ですから。

つまり、優先的に解決すべき自分自身の重大問題から
逃げるために、無意識のうちに
「どうでもいい問題ばかり」 に意識を向けて、
「どうにもならないのに」精力を傾けて執着する。

 

・・いままで、何をやっていたのか~と・・・気づく。
のは、いつになる?

 

だから。。ホントに、自分なんですね。
分離しなければ。。自分自身にすべてが、ある。

自作自演を見抜く

推理小説で「主人公が犯人だった!」という手法を使うのは、頻繁にあっては読者を裏切る行為なのであまり使ってはいけないウラワザだと思います。
うまく騙されて「なんだよ。それは禁じ手じゃないか」と納得できないものがあります。

が、ときに逸品があるものです。
「そこまで、やりますか」と感心させられて。

 

作者が、どうやって人の心理・視点の裏をかいて、騙していくか。

そういう目線で読み直してみると、
ここに騙しがあったのか、とか、いろいろと発見していきます。
ここを、こうだと勘違いさせられていたのか。

なるほど、この伏線があったから・・などなど。

 

推理小説は、いままで登場しなかった人を
突然に持って来て、犯人にするのは~、
あってはいけない。
犯人と思った人が犯人じゃない。
その裏を、どうやってかいて行くかの面白さがあり~

そんなふうにですね。
自分で自分を上手く騙す。
騙しておきながら、信じさせる。

信じ込んでしまったら、
そこ視点でしか見ない。


それに反するものは、反するのが当然というような

理由づけをして、別の世界に生きる。

 

そこからは、想像の世界しかなく、
事実は騙した世界が、まるで事実だ
というように使われる。


作者は最後に、この自作自演の種明かしをしてくれるから、
それはそれでスッキリとなる。
あーーっと言う間の、どんでん返しで。。

さて。心の、どんでんがえし。
これが、、、テーマなんですが。

自分がそれまでに取り込んだ「既成のもの」からの自由。
になって、ゼロから始める。

自作自演で苦しむのは終わり。

そして・・自由からは。。
その人を生きる。
それは新しい、創造の世界です。

一寸先に、何が起こるか。
ただワクワクしながら、待ちます。

火は小さいうちに消す

たとえば、電車の中で足を踏まれて
「痛い!」という体験をしました。

そのとき
「この人は、わざと踏んで謝りもしない」と思った。
としましょうか。

「この人は、わざと踏んで謝りもしない」と、
その人は思いました。。

けれど、思っただけで、事実かどうか、
はっきりしませんよね。

「わざと踏んだのですか?」と尋ねたら、
いろいろと反応はあるでしょう。

また「踏んだ」と気づかなかったから、
謝らなかったのかもしれませんよね? 
謝って貰えていたら、後にまでひかず、
終わったことなのでしょうが。


「わざと」というのは、
もともと自作なのですよね。
これは、完全に創作なのだけれど、
その自作に自分が騙されてしまう。

ただ「踏まれた」だけでは、
被害者として単純過ぎるし
「私の苦しみ」が、軽いでしょ?

なので、わざわざ重くして、
相手を責めたいのでしょう。

のしつけて~というヤツね、、
自作するときって、それによって
得をするからですね。

そこまでしなくていいのに・・・
ということを、やる。
問題は、それによって大きくなります。

自分を知る

心の成長は。自己観察から始まる。

ところが、続かない。

「こんな自分はイヤイヤー」みたいな。

 

いい悪いなく、ただ観察することがポイント。

いちいち判断評価していたら、苦しいのは当然。


しかも・・・世界は・・・狂ってますから・・・。

「えっなんで」「どうしてそうなる」・・。


こんな世界に付き合って狂わないはずはない。って、

つまり、自分もともと何かが狂っているんでしょ?


ある意味、常に自己弁護して暮らさなければならない。

のトコに入り込んで。。

そんなことは、できない~となりますか?。

そういうのを「こんなことを考えているんだ」

「そこに囚われがある」とかを、

面白とい思えなければ、続かないね。

 

本来は、自己発見するというのは

楽しいものなのです。