正しく生きるための実践マニュアル

「自分を生きていない」と気付いた人の為の道標が、今ここにある。

思考と感情

紀元前後のローマ帝国にルキウス・セネカという

哲学者がいました。

「問題になるは量あらずして質なり」。。

これが彼の残した言葉です。

見えるものの・数値化したもの。

これが「量」。量は比較を生む。

見えないもの・数値化できないもの。

これが「質」。つまりは感性の問題。

 

脳(認知脳)は、自動的に、動く、

という機能を持った装置でしかない。


最近、しゃべるロボットが作られましたが、

まったく人間の脳の模倣なんですよね。


ああなったら、こうする。こうなったら・・こういう時は・・・。

上手くプログラムされています。

 

ロボットも、感情を持つ。
と思いたい人が、感情を持つロボットの

映画を作る。のでしょうか。


そういう映画が、たくさんありますよね。


それは、この宇宙に、人間と同じ生物がいる。

はず・・・と思う心と、同じでしょうか。

諸人こぞりて

妹がイエスの足もとに座り、じっと聞き入る。
・・・その姿を見て、姉は「自分のように、
奉仕しするよう働きなさい」と言います。

女が、イエスの足に香油を塗るのを見て、
ユダは「そんな高価なものを塗るより、
そのお金で貧しい人に奉仕しなさい」と言います。

そうやって責めることで、我こそ正しい、
と主張する。が

イエスは、妹には、そのままでよい。と言います。
女にも、塗るのに任せます。

イエスに恩赦を与えるか? それとも、
・・・と問われて

イエス・・・それは自分の中にある輝きの象徴。
それを、殺すことを大衆は選択しました。

直観的に「これがすべきこと」と
分っているのに。

想いのままに、動きたいのに。

どれだけ、私たちは、
自分を抑圧してきたことでしょう。

損得計算で、自分の命の輝きを
抑えつけて生きてきたでしょう。

「神」はいるのか?

「神」はいる。。
「神」なんていない。

さまざまなご意見があります。

こういうのは形式的なこととして、
あることになっている。
「神」とかね。

でも、なんでしょうねぇ。
人には、どうしようもないことがある。

被災とか・・・。
誰を恨むでもないことに対する畏れ。
呪いたくなる思いを昇華させる。

そこに「神」を持ってくるしかない。
ようにも思います。

「アンタが悪いのよ!!」
ということでもなく。
それを、受け取るために。

 

逆に、豊穣などの喜びを、
歓びに変える心情。
あふれ出る感謝。

そこにも、「神」を持ってきたくなる。
「生まれてよかった」「生きてきて、良かった」みたいな。

形式として宗教感になってしまうけれど。

 

神・・・それは「理想」として、
追いかけるものではなく。

学問のすすめ

日本は敗戦の反省で、
国民のすべてに学問が必要だ。
となった。

すべての国民は学問をする義務がある。

学問とは、人の言うことに、無抵抗に、
いいなりになるのでなく、自分で考える力、
ということ。

知らないことには、ついつい
言われたまま、鵜呑みにしてしまう。

追跡調査をする手間をかけたくない。
となるからでしょうか?

しかし、自力で検索し、自分の頭で考える
ということをしていかないと、ウッカリ騙される。

学問は、学校で学ぶことではなく
日常で、常に疑問を持つことから
始まるのかもしれない。

これは本当なのだろうか。
これはどういうものなのだろうか。

労を惜しまず。
探求し続けることが大事。

知っている「つもり」だけ

話をしていて、「こいつ自分のことしか言わない」と
感じたりすること、あります。

進んでいる方向が違う。というか
話が、噛み合わない・・・。

そんなとき、面白くない~
と、話を続ける気も、聞く気もなくなるけど。

結局、相手の状態を、本当には知らないから。
相手の心の位置がわからない。
ってことじゃないかな。

たとえば、相手の日常生活が、どういうものなのか。
本当には、なにも知らない。

自分がこうだから、相手もこんなものだ
と思い込んでいるだけ・・・。

もし、ナマで知っていたら、違う表現が出てくる。
相手の心の近くに。
相手の心に伝わる。
実感できないから、すれ違う。

知らないことを、知らないで
「こういうものだ」
「この人はこういう人」
を前提に話しをするから
自分の世界だけで、空回りする。

自分だけで納得して
「これだけ言っても、なぜ伝わらない」
なんて思う。

たいてい「噛み合わない」のは、
相手のせいじゃない。

潔く死ぬ・・・とは

人と関わる。
その人がどういう人なのか、
何を言いたいのか、
それでどうしたいのか。は、
瞬間瞬間生じていること。

会話の中で、それとなく、
伝わってくるもの。
そのときの、ナマのもの。

営業マンなら、目的があって、
辛抱強く関わることが重要なのですが。

どうしたら、この人に買ってもらえるか。
試行錯誤しちゃうわけ。

しかし
関わるか関わらないか、
どの程度関わるかなど、
目的のない場合の関わり方は、難しいですね。

 

あるいみ「明日はない」関係でもあるように思います。
「いましかない」ものであって。
「次が確実にあるものではない」のですね。

だから~ホントに「次がある」のは、
ありがたくもある。

形を代え、人を代え、場を代えて。

 

失敗することを、恐れなくていい、
ということですから。

過去は「ない」と潔く生きることでしょう。

諦める人には、何も起きない

金がないから何もできないという人間は、
  金があってもなにも出来ない人間である。
             by 小林一三

 

「お金がないから何もできない」と

言うのは、極端でしょう。

 

お金がないと出来ないことは、あるよ。

ないなら、ないなりのことをする。

普通は~そんなもんでしょ?

 

でも、あえて、そう書くのは

最初から諦める人へのエール。

夢をみなさい。

夢は叶うよ。

というエール。