正しく生きるための実践マニュアル

「自分を生きていない」と気付いた人の為の道標が、今ここにある。

自分で自分を知らない

いつもの自分は、相手が誰だろうと、どういう場所だろうが

 

無関係に現れるんですね。

 

そんなふうに考えると、問題が起きると私があらわれる。

 

なんてものでなく。それは自分が意識できるだけで。

 

いつだって、他人から見ると

「アンタは、いつだってアンタを主張しているよ」となる。

 

多くの人が、話上手だから、人との関係は得意だと思っている。

対人関係のポイントが、聞く力にあることを知らない。

 

ピーター・ドラッカー

 

 

相手の反応は、次の自分の反応を生み出す。

 

行ったり来たりしながら、好意が高まったり悪意が高まったり。

 

小さな頃、友達と喧嘩して

 

「もうキミとは、遊ばない!」と悪態ついて・・・

 

このパターンって、大人になっても、使っていますね。

 

私も、これが適切だと思ってしたことが、相手には通じて

 

いなくて「なんだ、この人??」となって。

 

人によっては「ありえない~」となるのでしょう。

 

 

ただ「こう思った」は、どう表現するか、

 

決まっていなくて自由にやっていいことで。

自己観察はエゴ観察

ある人の、ある日。

 

向こうから来る人。

挨拶しようか。

どう声をかけようか。

無視されたら、イヤだな。

 

このように。自覚なく自分の思考・感情を、

ゆるぎなく見ていますよね。

 

こんなのは、どうだっていいこと? 

じっさい。

挨拶するか・しないか、タイミングを

どうしようとか。な~んてことない。

 

しかし、丁寧に。

そう考えている「自分を見ている」。

 

自分をみていなければ、こういう、

どうでもいいことを

覚えていることもない。

 

覚えているから、後から、色々と

自分を振り返り、検討できる。

のですね。

 

私としては、こういう話を聴いているときも、

自分をうっすら意識しています。

自分のエゴで、相手の話を自分の都合の

良いように解釈してしまわないように、と。

 

自分のエゴが活動していないか、

観察する。みたいなことね。

 

習慣・自動操縦で動いていれば、

ラクチンですが。

 

自分が不利になるようなときは、

エゴは、動きますよね。

エゴっていうのは、生命活動の一環

でもありますから、自分を守ろうと

するのは当然。

 

オシャカサマに近いくらい~の

悟りの境地に入っていれば、

思考の工作を見抜きますから、

動じないでしょう。

 

けれど、日々~色々とある現実に対応するとき、

恐怖に負けそうになることも、あるのよね。

 

それに負けるか、気づいて解放していくか。

だから学びは、一生のこととなってるんですね。

涙は心の汗、という

泣くって・・・

わりとネガティブに捉えがち。

 

弱いとか、自制心がない、とかね。

でも、こんな効用があるんですね。

 

泣くと脳内に分泌されるセロトニンは、

心の「平常心」や「集中力」、

メンタルヘルスとしては非常に好ましい

「意欲」もあるというポジティブな

心の状態を作り出すことができる。

 

 

うつとか『キレる』などの問題や

様々なストレスの解決に、

涙が役に立つとは、ですね。

 

自分に役立つだけでなく

世のため、人のために広めていく。

って、あるんじゃないかな。

 

ということで、興味のある方はぜひ。

 

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壊す

創作活動をする人にとって自分の概念は、
オリジナルのように感じて大切にしがち。

これでしか、立てないと思う。
そして
それを追求する~となるんですが、
他者にとっては
「またか」という感じになるのね。

そんな評価を受けても
世間には、わからない・・・
と、さらにかたくなになる。

これは新しい。
今度は画期的。
これこそ真実の道・・・と
思い込んでいるのは、
自分だけで。堂々巡り・・・。

ピカソも、色々な時代と
呼ばれる時期があったように、
固定したものを壊すことで
次の時代が来るのだね。

傷つくのは防衛しているから

一時期・・・ごく若い頃ですが。

 

「人に迷惑をかけたくない」と思ってました。

「自分・・・どうもすいません」的な。

 

いやな思いをさせないかな。

という気持ちだったのですが。

 

これ。

自己弁護だったようです。

そう言っていれば、傷つかない。

そういう守りの気持ちなのね。

 

クリシュナムルティは、いいます。

 

あなたは自分の感情が傷ついて、あなたの見方が

変えられることを恐れているのではないでしょうか。

 

そんなこんなで、気づきました。

「迷惑をかけたくないので」・・・という言葉。

これは、いい人のフリをして。

自分を守っていたのです。

 

わたしは、変わりたくない。

わたしは、変えられたくない。

 

自分の考え。感じていること。

否定されて、非難されて、傷つく。自分。

つまりは、そういう自分なのだと。

自分で知っている、と思っているのです。

 

 

いゃー。迷惑をかけてしまうことを

してみたら、どんな結果があるか分からないのに。

勝手に、そう思っていたのですね。

 

傷つくようなことがあったら

そのときに、どうするか決めればいい。

何もおきていないうちに、逃げてる自分。

なのね。

 

って苦笑ですわ。

無知の知

ソクラテス
知の探求は、己の無知を知ることから始まる。

ソクラテスは当時賢者といわれている
名士たちを訪れて、自分より優れた
賢者を見つけようとした。が。

問答を通して気が付く。

みな本当は自分と同じように無知なのに
自分で自分を知者と思い込んでいるのだと。

 

自分の無知に気づくこと。
それこそが賢者。

危機は突然は来ない

重大な障害が起きて
身動きできず・・・。

ということがあっても。

 

よくよく見てみれば、
様々なファクターの総体によって
おきているのが解かる。

 

ひとつひとつ。手がつけられるところから
解いていけば、変化が起きる。

 

それが障害の解消法ですが。

一挙に解消する方法もある。

 

ほら。
その、しっかりつかんで
手を離そうとしていないものを
手放してごらん。