自己観察はエゴ観察
ある人の、ある日。
向こうから来る人。
挨拶しようか。
どう声をかけようか。
無視されたら、イヤだな。
このように。自覚なく自分の思考・感情を、
ゆるぎなく見ていますよね。
こんなのは、どうだっていいこと?
じっさい。
挨拶するか・しないか、タイミングを
どうしようとか。な~んてことない。
しかし、丁寧に。
そう考えている「自分を見ている」。
自分をみていなければ、こういう、
どうでもいいことを
覚えていることもない。
覚えているから、後から、色々と
自分を振り返り、検討できる。
のですね。
私としては、こういう話を聴いているときも、
自分をうっすら意識しています。
自分のエゴで、相手の話を自分の都合の
良いように解釈してしまわないように、と。
自分のエゴが活動していないか、
観察する。みたいなことね。
習慣・自動操縦で動いていれば、
ラクチンですが。
自分が不利になるようなときは、
エゴは、動きますよね。
エゴっていうのは、生命活動の一環
でもありますから、自分を守ろうと
するのは当然。
オシャカサマに近いくらい~の
悟りの境地に入っていれば、
思考の工作を見抜きますから、
動じないでしょう。
けれど、日々~色々とある現実に対応するとき、
恐怖に負けそうになることも、あるのよね。
それに負けるか、気づいて解放していくか。
だから学びは、一生のこととなってるんですね。