正しく生きるための実践マニュアル

「自分を生きていない」と気付いた人の為の道標が、今ここにある。

自問自答

知りたいのは「事実」

Aさんの発言を聞くと「ふむ。なるほど」と思う。 かたや、Bさんにも「あれはどうなの」と聞いてみると、Aさんとは真逆。 ということが、多発しますね。 時間の経過とともに「実は、こんなことも」となると最初の印象とは変わってきて 聞いているほうは、事実…

市長が土俵の上で

噂のアレですけど。 女性は不浄。ってことなんでしょうか? 土俵の上に女性は乗らないでください。の連呼・・・。 このルールの歴史はいつから始めたんでしょうねぇ。 そんなに古くはない、はず。 誰かの都合で作られた、はず。 だけど。一旦作られると、守ら…

自分の意見が、ない

連日テレビなど~報道で、相撲問題が・・・ 日本中が、相撲に関心を持っている と、思っているのかな?よくも、飽きずに。 テレビを見て、そのままコメンテーターの方の言うまま聞いたまま、自分の意見に なっていませんか? よく見かけられるのは ある人の言…

諸人こぞりて

妹がイエスの足もとに座り、じっと聞き入る。・・・その姿を見て、姉は「自分のように、奉仕しするよう働きなさい」と言います。女が、イエスの足に香油を塗るのを見て、ユダは「そんな高価なものを塗るより、そのお金で貧しい人に奉仕しなさい」と言います…

知っている「つもり」だけ

話をしていて、「こいつ自分のことしか言わない」と感じたりすること、あります。 進んでいる方向が違う。というか話が、噛み合わない・・・。 そんなとき、面白くない~と、話を続ける気も、聞く気もなくなるけど。 結局、相手の状態を、本当には知らないか…

操作を手放す

わたしたちが人との関係で、なにを見ているのでしょうか、 なにを聞いているのでしょうか。 その言動自体が正しいか間違いかは関係ない。 その人が正直な人と感じているか、でしょうか。その人が自分に対しても嘘を言わない人だと感じでいるから、信じる。 …

自我の主張

「私は、何も知りません」と言うと、人は喜んで 「教えてあげよう」と寄って来ます。 得ようとしないのに、沢山を得ている。 それこそ、究極の自我の放棄じゃないかしらん? 自我は愚かさを怖れますね。 知らない自分を許さない・・・駆り立てられるように・…

自分で自分を知らない

いつもの自分は、相手が誰だろうと、どういう場所だろうが 無関係に現れるんですね。 そんなふうに考えると、問題が起きると私があらわれる。 なんてものでなく。それは自分が意識できるだけで。 いつだって、他人から見ると 「アンタは、いつだってアンタを…

愛は愛とて、なんになる♪

相手を責める気持ちは「貴方に愛が無い」であり 攻撃は様々な形をしているけれど根本は 人に「愛が無いこと」を 責めているのですね。 責めている自分にも「愛がない」から責める。 愛に気づいたら、すべてが終着するんですね。 もう探しに行かなくてもいい…

本当は知っている

以前、精神世界系やヒーリング系の セミナーのようなものに、 いくつか参加したことが ありまして~ 知識を得るのは、あるいみ 楽しくもありました。 へー、こんなコトがあるのか、と 目からウロコが、ポロポロ~と。 ということも、面白かった。 やがてバラ…

自業自得。とは

99%ではなく、「100%自分の問題」ということは、 同僚がミスをして一緒に叱られても、 見ず知らずの人に突然言いがかりを付けられても、 地球の裏側で何かの悲惨な事件が起きても、 0.1%も例外なく、それは誰かのせいではなく 「自分」の問題ということに…

信頼する、ということ

信頼というのは~何かと、考えた。 「こうだから信じられる」というものだと、「こうでないから信じない」になりますね。 つまり、条件がつく。それは「信用」ということ。 「信頼」しているというときは相手の言動には必ず善い意図があると思って、受け止め…

純粋さ

仏道をならふといふは自己をならふなり。 自己をならふといふは自己をわするるなり。 自己をわするるといふは万法に証せらるるなり。 万法を証せらるるといふは自己の身心、および他己の心身をして脱落せしむなり。 というのが曹洞宗開祖、道元さんの有名な…

アインシュタインへの質問

「あなたが死にそうな状況になって、 助かる方法を考えるのに、 1時間あるとしたら、 どんな事をしますか?」 の質問に対してアインシュタインは、 「最初の55分は、 適切な質問を探すのに費やすだろう」 わが国の教育を受けた場合最初から、死にそうな状況…

始動する

お正月が~あけまして もう、ガチで日常です。 31日の大晦日もガリガリに働いて三が日は、気持ちをリセットするため思う存分・・・ノラクラしてました。 ホントに、極楽ですよ。 「あっ、自分はナマケているのが好き」なのだと、気づく。 気づかなくてもイイ…

本当の想いは、どこにある

何か「こうだ」と思う。 そこで、続けて 「こうなんです、なぜなら、こうだから」と言う。 言っている傍から それがウソに聞こえてしまう。 言い訳のような 何か隠していることがあるような。 ・・・ 「なぜなら・・・」 この言葉に、ウラを感じるんだなぁ。…