正しく生きるための実践マニュアル

「自分を生きていない」と気付いた人の為の道標が、今ここにある。

臨機応変は想像力次第

アインシュタインが言ってます。
問題の起きた次元では、問題の解決はできない。みたいなこと。
「これしかない」のなかで、ゴタゴタしても、出口はない。

「この上司が悪い。同僚がバカ。会社は理不尽」
スパッと、辞めたら、もうその答えを求める必要はない~。っと。
・・・

離れてみたら、あんがい恵まれていたと

気づくこともあったりして。


そして~自分に人と関わる能力が欠けていた、

と気づくかも。

古いものが壊されて、新しいものが産まれる。

ということを、頭の中で想像する。
辞めたら分かる。壊したら分かる。
のでは・・・キケンです♪

意識は、逸らされる

自分の中の愚かさ、狡さを毛嫌いし叩きだす。
「これは自分ではない」
「自分はこんなものじゃない」。。
「自分には善をめざす意思がある~」

そして、自分は~まっとうな人間と、倒錯する。
これが脳が行う投影の技術ですね。

そんな人が、真剣に他者と関わるなんて、
できることなのでしょうか?

 

恋愛しても他者の中にある、
自分自身を愛するだけかも。

どーしようもない、愚かで、
自分勝手で、ダメダメ男を
「自分しか助ける者がいない」と、
恋愛し続ける女のようなもの。

ダメだから見下して
「こんなダメ男なら、自分から離れないだろう」。

そんな安心感が、何度でも、
疑似恋愛を繰り返させる。

よそから見たら「なんで、あんな男を?」
と思ったりしますが。
愛するには、愛するの理由がある~


自分がダメだなぁーと思っている場合は。
崇拝する人に、愛されようとする。
そんな人に愛されている自分は・・・偉い。
のでしょう。

でも、そんな人に、本当に愛されるだろうか?
という疑心暗鬼が~あるもんだから。
今度は、相手を落とそうとする。
自分の位置まで・・・そして、
自分より下の位置まで。

ただ恐怖を使って支配する。
人間としての尊厳を汚す。
受けた人は、恥でおおわれ。
DV旦那とか・・
昨今の集団友達殺人も、
同じ構造かもしれません。

相手は恐怖で付き合っているのに、
愛があるからと錯覚する。

落されて喜ぶ人は、いないから。
逃げようとする。
逃げれば「裏切られたー」と激高して・・・。
この後は~血みどろドロドロの~


自分の中の人間性、その光と闇を
あますところなく看破し
受け入れた人は~

人のことなんか、どうでもよくなる。
非難する気も、教育する気も、ない。
それはすべて、自己承認を求める行為ですから。

つまり、優先的に解決すべき自分自身の重大問題から
逃げるために、無意識のうちに
「どうでもいい問題ばかり」 に意識を向けて、
「どうにもならないのに」精力を傾けて執着する。

 

・・いままで、何をやっていたのか~と・・・気づく。
のは、いつになる?

 

だから。。ホントに、自分なんですね。
分離しなければ。。自分自身にすべてが、ある。

自作自演を見抜く

推理小説で「主人公が犯人だった!」という手法を使うのは、頻繁にあっては読者を裏切る行為なのであまり使ってはいけないウラワザだと思います。
うまく騙されて「なんだよ。それは禁じ手じゃないか」と納得できないものがあります。

が、ときに逸品があるものです。
「そこまで、やりますか」と感心させられて。

 

作者が、どうやって人の心理・視点の裏をかいて、騙していくか。

そういう目線で読み直してみると、
ここに騙しがあったのか、とか、いろいろと発見していきます。
ここを、こうだと勘違いさせられていたのか。

なるほど、この伏線があったから・・などなど。

 

推理小説は、いままで登場しなかった人を
突然に持って来て、犯人にするのは~、
あってはいけない。
犯人と思った人が犯人じゃない。
その裏を、どうやってかいて行くかの面白さがあり~

そんなふうにですね。
自分で自分を上手く騙す。
騙しておきながら、信じさせる。

信じ込んでしまったら、
そこ視点でしか見ない。


それに反するものは、反するのが当然というような

理由づけをして、別の世界に生きる。

 

そこからは、想像の世界しかなく、
事実は騙した世界が、まるで事実だ
というように使われる。


作者は最後に、この自作自演の種明かしをしてくれるから、
それはそれでスッキリとなる。
あーーっと言う間の、どんでん返しで。。

さて。心の、どんでんがえし。
これが、、、テーマなんですが。

自分がそれまでに取り込んだ「既成のもの」からの自由。
になって、ゼロから始める。

自作自演で苦しむのは終わり。

そして・・自由からは。。
その人を生きる。
それは新しい、創造の世界です。

一寸先に、何が起こるか。
ただワクワクしながら、待ちます。

火は小さいうちに消す

たとえば、電車の中で足を踏まれて
「痛い!」という体験をしました。

そのとき
「この人は、わざと踏んで謝りもしない」と思った。
としましょうか。

「この人は、わざと踏んで謝りもしない」と、
その人は思いました。。

けれど、思っただけで、事実かどうか、
はっきりしませんよね。

「わざと踏んだのですか?」と尋ねたら、
いろいろと反応はあるでしょう。

また「踏んだ」と気づかなかったから、
謝らなかったのかもしれませんよね? 
謝って貰えていたら、後にまでひかず、
終わったことなのでしょうが。


「わざと」というのは、
もともと自作なのですよね。
これは、完全に創作なのだけれど、
その自作に自分が騙されてしまう。

ただ「踏まれた」だけでは、
被害者として単純過ぎるし
「私の苦しみ」が、軽いでしょ?

なので、わざわざ重くして、
相手を責めたいのでしょう。

のしつけて~というヤツね、、
自作するときって、それによって
得をするからですね。

そこまでしなくていいのに・・・
ということを、やる。
問題は、それによって大きくなります。

自分を知る

心の成長は。自己観察から始まる。

ところが、続かない。

「こんな自分はイヤイヤー」みたいな。

 

いい悪いなく、ただ観察することがポイント。

いちいち判断評価していたら、苦しいのは当然。


しかも・・・世界は・・・狂ってますから・・・。

「えっなんで」「どうしてそうなる」・・。


こんな世界に付き合って狂わないはずはない。って、

つまり、自分もともと何かが狂っているんでしょ?


ある意味、常に自己弁護して暮らさなければならない。

のトコに入り込んで。。

そんなことは、できない~となりますか?。

そういうのを「こんなことを考えているんだ」

「そこに囚われがある」とかを、

面白とい思えなければ、続かないね。

 

本来は、自己発見するというのは

楽しいものなのです。

「合図」があったのに

ひさびさに・・・失敗しました。

丁寧に対応していれば
失敗することはない。

いつものことながら。
後悔すること、しきり。

まあ、どうしてそうなるのかは。
案外、自分で分っている。

分っていながら「しない」ことがある。
ので~失敗ループに入り込むのです。

私の失敗ループの始まりは「思いこみ」。
そして「したくないことからの逃避」です。

「したくない」から、気をつけていれば
相手からのメッセージがあることに気付く。

気付けば、思いこみで走りだしている
ことから、転換ができるのです。

思い込みは、すでに、自分本位に
状況を判断して解釈して
行動しようとしている。

のだ。

「したくない」から、自分本位。


取り換えせる失敗と
取り返せない失敗は、ある。

さらに、失敗したから成長がある。

(強がり・・・です)

幸せは人生のフロク

思うようにならないから攻撃する。

傷つけられたから仕返しする。

振られたから、殺した。

わけわからん事件がおきている。


まあ・・・我慢が足らんなぁ。
と言えることではあるけれど。

この世は、自分の思うように
ならないものだ。

そこは、基本でしょう。

思うようにしたい。
そこにあるのは依存。

誰かが自分を幸せにしてくれる。
と・・思っていませんか?


幸せは人との関わりで起きてくる。
のだけれど、それは附録のようなもの。